遊び心で劇づくり

 

わんちゃん 連載がいよいよ一冊の本にまとまりましたね。どうです、とんぼさん。序文の対談をする気分は!?

とんぼ いや−、やっぱりいいな。何冊書いても、この序文は、えもいわれぬ幸せな気分だ…。う−ん、いい!! わんちゃんこそ、どうなのよ。幸せでしょう!?

わんちゃん そりゃもう最高。演劇を専門にしているわけではないのに、一応は脚本集をつくってしまえたのですから。

とんぼ そう、ぼくたちは劇作家じゃないんだよね。けれどそこのとこが、とても大切だと思っているでしょう。

わんちゃん よくぞいってくれました。さすが“わが師よ”…ですね。(笑)子どもたちに、ちょっとした劇を見てもらったり、一緒に劇あそびをするとき、即興性が、とても重要になるんですよね。あらすじはあっても、子どもたちのイメージのふくらみ方や表現の出具合で、どんどこ変化していける劇、あそび心で演じる劇。そうした劇を作りたかったんです。

とんぼ おとなが楽しみながら気楽に演じるのを見るもよし、興が乗ったら、子どもたちも劇に加わるのもよしといった、即興性の強い劇の素ってとこなんだよね。

わんちゃん げきのもとって、すごいネーミングですね。食べすぎると、おなかが痛そう。(笑)

とんぼ たしかにそうだ。たとえば、じっと劇に見入っている子どもたちを、無理に劇中に加えようとする・・・これは違うよね。自然体で演じることが何よりで、まずは劇を楽しむことなんだからね。

わんちやん 本当にそう思います。演じる方も見る方も、あそびとして劇を感じられなくては・・・。

とんぼ ところであそびはもともとドラマを持っているじゃない。たとえば「やまんば」とか「三枚のおふだ」といわれる昔話があるでしょう。あそこで、やまんはがこぞうを追いかけていくと、おふだをだして、山でろ、川でろというよね。あれは本質的には「おにごっこ」の世界ですよ。怖いものに追いかけられて、そこから逃げていくスリルって言う世界ね。ドラマのなかには、いろいろなあそびがあるからね。逆に、あそびからドラマが生まれてくるってこともあるんじゃないかな。

わんちゃん 少なくとも、ごっこや劇風にあそんいるときには、あそびと劇のさかいは、ないようですよね。かえってあそび(ゲームも含めて)がある方が、子どもが演じたり楽しむのには、入りやすいように思えます。手前味噌ですけどうそっこ劇場の持ち味の一つが、そこなんですよ。

とんぼ それとちょっと違うけど。たとえば絵本を使った劇あそびであそぶときだけれど、絵本を通してのイメージで、自分が違うものになって、あそんでみるわけね---ままごとでお母さんやお父さんになってあそぶのと同じでさ---自分でないものになるおもしろさっていうのも、見逃せないね。

わんちゃん そうそう。おとなもこどもも憧れみたいなものをいっぱいもってて、あるときはお母さんへの憧れだったり、力の強い者への憧れだったり・・・。その憧れが、自分でないものを演じるおもしろさの原動力なのじゃないかな。大きく考えればこれもあそび心といえる。心をあそばせるんですよね。劇や空想の世界で。そして今なれないものにも、なってしまう。

とんぼ 子どもにとってこの社会というのは、とても不思議なものに満ちているよね。おとなの役割は、社会への道案内のようなものかもしれないね。その一つに、劇の世界があるんだな。

わんちゃん イメージの世界であそびながら、現実とうそっこを演じ分け、大いに楽しんでもらえるとうれしいですね。そして、生きるってすばらしいよ、劇って面白いよっていう体験をしてもらう素材になれば、最高ですね。


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