「不登校を遊ぶ」

フリービデオムービー作家  酒井 澄(きよし)

 7年前から、週一回不登校の子と、その親、そして趣旨に賛同してくれる人といっしよに「ロバの耳」というフリースペースを開いている。

 今までレギュラーになった子は17人、現在のレギュラーは、9人、来なくなった8人はというと、全員学校に行っている。この他に、レギュラーの中にも学校に行っている子がいる。中学には一日も行かなかった定時制高校2年生と、小学校3年途中から中学校、全部行かなかった、通信制高校の一年生の2人である。

 定時制高校2年生は、中学時代にコンピューターを勉強し、昼間はプログラマーをしている。

 もうひとり、通信制一年の子の方は、去年夏、高校に行く気になり、勉強して都立高校を受験した。トライしたのは、競争率10倍をこえる難度の高い高校だったので合格しなかったが、中学校に送られてきた試験の点数は、他の高校であれば十分合格する点数であった。数学は九九から始めるといった状態であった子が、たった7ケ月、塾にも行かず、自宅で一日5〜6時間ほど勉強しただけで、この学力を付けてしまった。

 勉観時間は、起きている時間の半分以下だから、好きなテレビ番組は毎週見ているし、友達と長電話もしているし、カラオケにも行っている。死にものぐるいで勉強したのではない。親はというと、勉強しずぎると体に悪いから、程々にしたらといっていた。

 学校、塾で毎日たくさん時間をかけて勉強するより、はるかに効率のよい知識の修得をして見せたのだから、特別な子と思いがちであるが、この子は、普通の子である。短期間で学力がついたのは、本人が学ぼうと思ったので、本来人間の持っていた能力、集中力が、出てきただけのような気がする。

 この子を見ていると、今までの常識というものを疑ってみたくなる。勉強ってしたいときにすればいいんじやないか、本人がしたくなるまで、必要とするまでほっとけばいいんじやないか、こんな風に思う。

 したいときにすればいいというと、ずーっとしなかったら、どうすればいいのかそういう疑問が出てきそうだ。ずーっとしなくっても、成長して、やりたいことが出てきて、学ばなくてはならなくなったときがくるはずだから、そのときになってからすればいいと思う。常識的には学び、力を養い、そして社会に出ていく、という順であるが、逆でもいいと思う。たしかに今の社会制度だと、この方法では、エリート官僚、一流企業の社員になれない。でも、エリート官僚、一流企業の社員になることが、人生の成功なんだろうか。最悪の倫理観に従わなければいけない官庁があったり、終身雇用と思っていた一流企業が、倒産したり、リストラしたりしているのに。

 社会は自由化に向かっている。この中で心豊かに生きていくには、受験での勝利より、自分流の人生の送り方を持っている方が大切なのではないだろうか。はっきりした目標もないのに、今勉強をしておかなければ、将来いい人生を送れないという常識にしばられ、苦しい勉強をするより、死ぬまで向上心を持ち、いつでも学びたいときに学べる、楽しい勉強の方がいいような気がする。

 ここまで読んでいると、学校がいらないといっているように感じるかもしれない。でも、決してそう思っているわけではない。ただし、今の学校や、教育環境は変わらなければいげないとは思っている。

 不登校を肯定した家族を見てみよう。行かなくなった頃は、思い空気に包まれていたが、このトンネルを抜けた後、この家庭には、余裕が生まれた。受験競争をしなくてすむから、子供たちは追い立てられることはない。自分の生き方を認められた子供たちは、親とうまくつきあい、伝頼関係が成り立つ。しつけも不要となる。ほとんどのことは、子共たち自身で気がつき、実行するし、問題があるときは、叱らなくても、アドバイスするだけで理解するからだ。そして、規と子供が冗談も言い合う仲となり、不登校のある生活を楽しむようになる。家庭の中での生活だけでなく、外に行ってもいいことがある。学校のある日は、子供たちの行きたがる所がすいている。親が有給休暇を取れれば、キャンプ場でも、遊園地でもゆったりと過せるし、シーズンオフの旅行は、割引料金というおまけが付いてくる。「ロバの耳」の遠足でいったコンピユーターのショールームでは、待ち時間なしの、無料ゲーセン状態だった。

 生活が楽しくなると「遊び心」が生まれる。この「遊び心」は創造力につながるような気がする。実際、常識に捕らわれない「ロパの耳」の子たちは、これが得意である。

 今の学校は、まじめすぎて「遊び」が少ないような気がする。子供たちや、先生たちが、「遊び心」を持てる学校になってほしいと思う。

 私に一つアイデアがある。学校も、フレックスタイム、フレックスデイ制にしてはどうだろうか。必要なとき、やリたくなったとき学ぶ。不登校肯定した家族は、超のつくフレックスでうまくいっているのだから。

 重い問題であった、「不登校」だが、「不登校」を遊んでみるといい。子供が学校に行っていても、このコンセプトは楽しめる。遊ぶことによって、今まで気がつかなかった、家族と学校が見えてくるはずだ。