「じゃむ子 本を遊ぶ」

安野じやむ子

 98年3月東京三鷹で『読めない本・新たな文字』展の松岡薫の作品を見た時、「わたしはここにいたんだ」と、心で叫んでいた。ばっさりと裁断された本、写真パネルになって壁に固定された読めない本たちが三面の壁いっばいに、まるで図書室のように飾られていたのだ。わたしはこうやって毎日ここに座って背表紙をながめて暮らしていた。背表紙と遊んでいた。そんな思いで、懐かしくて立ちつくしていたのだった。

 わたしは生まれた時から本に囲まれていた。必要な本はいつも手の届くところにあった。だけどわたしは本を読んでいなかったような気がする。背表紙を読んでなかみを想像したり、色や形を楽しんでいたのだ。

 父は、戦後神田のゴザの上に本を並ベて売るところから始めたのだろうか、もう亡くなってしまった父に訊くことはできないが、わたしが生まれ育ったのは中央線荻窪駅前の古本屋だった。そして、通りをちょっと行ったところにもう一軒開店した。小学校のわたしは、毎日そこで店番をしていた。読めない本に囲まれて・・・。そして大きくなるにつれて絵本、児童書、児童文学、児童心理学、児童福祉、保育理輪・・・こんな本がどんどん増えていくのも自然に受け止めていた。わたしは必要な本を家から一歩も外に出ないで手にいれていた。親が集めてくれていたのだ。わたしは本をおもちゃに遊んでいれば良かった。

 人は本を読む。今はわたしも本を読む。だけど、読んでいない本を狭い部屋に並ベて、読めない本ごっこを今もしている。だからわたしは不真面目だと思っている。本を語るなんて恥かしくてできない。著者には悪いが、ちょっと本を遊ばせてもらう。『へそまがり書評』ってところでしょうか。


「少年H」

妹尾河童著

 三滝のまきちゃんが貸してくれた。NHKの「週間こどもニュース」のお母さんの声が聞こえてきてこまるが、子どもは秘密をたくさん持っていることを大人に思い出させてしまった本。というところまでしかまだ読んでいない。


「自閉症だったわたしへ」

ドナ・ウイリアムス著 河野万里子訳

 我が子(とても穏やかな純粋な青年)がこんなふうに考えていたと思えた本だから是非読む事をお薦めする、と素敵なお隣さんに言われた本。わたしの本棚にもう四年前から立っている。小さな字で二段に組まれているので写真のページだけ見てまた今度と思ってしまう本。だけど先日絶対読むぞと強い決意をしてカバーをかけていつでも読めるようにしてある。


 

「家族それそれの狐独」

永畑道子著

 永畑道子さんの生き方が好きで、勝手にPTAの先輩とか思って親しんでいる。どうしてわたしがそう思っているのか、どうぞこの本を読んで謎を解いてください。でも一ヶ所だけ気になるところかある。207ページ1行目「たしかに非行児を生む背景には、さらに自開症、登校拒否などを含めて、問題ある子どもの陰には、はっきりと“父親喪失”の現象がある。」というところだ。もうお分かりだろう。自閉症に対しての認識が古いのだ。永畑さん、一緒に自閉症の勉強をしましょう。


 

「岸和田少年愚連隊」

中場利一著

 こういう人達っていたよね。でも、まわりの人達からは絶対に理解されないような事ばっかりしてる、そんなおかしな少年達のお話。だけどわたしは単純ですぐに納得してしまうので、読んだら、中場君の、真面目につっぱって、けんかして、博打をする気持ちも分かるような気になってしまう。しかしバタフライナイフ事件ともつながる青少年のゆれる気持ちが書かれている・・・、なんてPTAのおばさん的に思ったりもする。また、お笑いグループで映画化されるとか、大人になってから麻薬所持事件を起した。「切り捨てるのではなく、身内として見守りたい。」という仲間がいて執筆を再開している。大人になってからのゆれる気持ちを伝えてほしい。

安野じゃむ子(斎藤美恵子)

1950年東京・萩窪生れ  獅子座で寅年。

 「あそび工房らいおんバス」メンバー。元古本屋の看板娘。元幼稚園教諭。現在は真冬のキャンプのリーダー。「ネコのトランク」(子どもたちの放課後と休日を豊かにする会)スタッフ。地域の小学校でボランテアで遊んだり、中学と高校でPTAのおばさんをしている。