「あそび工房らいおんバス」

「こどもとあそび研究会」


自転車

 らいおんバスというのは、そもそもフリーの人材梁山泊のようなものだった。遊び歌人・シンガーソングライター・ピアニスト・影絵劇団員・シンガーソングイラストレーターなどが、毎週火曜日に中野の旧家に集まっては、「季刊あそびうた」という遊びの雑誌なんかを作っていたのである。とんぼさんに言わせると、第一期黄金時代ということになる。1980年代のことである。そこには、湯浅とんぼ、犬飼聖二、望月利一、中川ひろたか、福尾野歩、島筒ひでお、新沢としひこなどがいた。

 その後、その雑誌を廃刊。中川氏・福尾氏のお二人は、奇才増田裕子女史とバンド「トラや帽子店」を結成、大活躍をした。現在、中川氏は、売れっ子絵本作家にもなり、福尾氏は、永六輔さん肝いりで、日本の新しいタイプの芸人を目指している。一方、増田氏はケロポンズで大活躍。

 また新沢氏は、アスクミュージックを興し、ソロ活動を展開。中川氏との名曲、「誰かが星をみていた」は、4年生の国語の教科書の詩の教材として採用される。そして、絵本作家エリックカール氏の絵本に歌をつけCD化するなど、活躍中である。

 今でもらいおんバスとしては、そのそもそもの梁山泊的な人間の集まり方を踏襲している。その後初期メンバーに、坂田ノボル・高崎温美・南夢未・菊地一英・洒井澄・伊東美貴が混入され、独特のブレンドとなった。1990年代である。

 そして、「こどもとあそび研究会」というのが、ほぼ第二期らいおんパスの動きと同時に始まっている。この会に来て、いつのまにやららいおんバスにどっぷりつかってしまった人もいる。

 ところが、この研究会はどちらかというと「保育関係者・教育関係者」が多く、活動もそれに見合ったものとなっていった。そして、それを打破するため一時は「サロンドらいおん」という喫茶店占拠型サロンの集いを展開していた。全くのフリートーク・フリー参加・テーマ設定ナシで月一回集まっていたのである。だれでも参加自由というのが面白い。日ごろの生活圏のなかで出会えない人達と会って話すというのは、とても刺激になっていた。

 そして、ここで出会った人の何人かがらいおんバスの仲間になり、新しい血が入っていった。それぞれの持ち味を活かした異業種展開は素晴らしい刺激をもたらしてくれることは確かだ。

 そして、1996年、らいおんバス主催・研究会大バックアップのお店屋さんごっこ風保育者研修会「らいおんBOX」が、世田谷の保育園を借り切って盛大に行われ、北は青森、南は沖縄も含め、200人近い人が参加してくれた。

 その後、らいおんバスとこどもとあそび研究会は、保育者向け雑誌の研究・創作をテーマに活動を展開したが、あっさり投げ捨てる。そして新たなテーマ「人間にとって、あそびって何なのだろう」という、途方もない雑誌づくりの深いワナに落ち込んだ。依頼3年、10年続いた研究会は休眠状態になってしまったが、ミレニアムに再開するのでどうぞお楽しみに。そして、雑誌作りは、このホームページ内の「遊々」として、ひとつの形にしてみた。

 日本という巨大な田舎町社会が、未曾有の混沌状態に入り、そのツケが、弱い者・老人・子どもを直撃する時代。だからこそ、あそび工房は、「心の余裕」としての「あ・そ・び」を、どこまでも追い求めることで、人と人の心の輪をつなげ合う手助けをしたいと願って、遊び続ていこうと思っている。

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